学生スポーツについて考える(スポーツと体育/発展/内部に潜む影)

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学生スポーツについて

 

 

さる6日に行われた関西学院大学(以下関学)と日本大学(同日大)のアメリカンフットボールの試合で、悪質な反則プレーが発生しました。

 

事件はネットで話題となり、連日テレビや新聞が取り上げるようになりました。

 

当事者たちに対する様々な意見が連日報道されていますが、今回の個別事象についてではなく、学生スポーツについて分析し、その問題点を指摘したいと思います。

 

 

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スポーツと体育

スポーツが我が国にもたらされたのは、明治時代です。

 

ベースボールにサッカー、陸上競技、ボクシングなどが欧米人により紹介され、この頃政府の政策として外国人講師が多くいた一高では、いちはやく野球部がさかんな活動をはじめました。

 

一高
第一高等学校(だいいちこうとうがっこう)は、現在の東京大学教養学部および、千葉大学医学部、同薬学部の前身となった旧制高等学校である。
「旧制一高」とも呼ばれる。

 

この後スポーツは、我が国独特の発展をして行きます。

それは鍛錬や修養を目的とする側面を持つという点です。

 

 

明治までの我が国にあったのは相撲、剣術、柔術などの武術です。

 

武術は生死をかけて戦うため、体と技を極限にまで高めるのと同時に高い精神性を求めるという点で、ゲームの勝敗を競うスポーツとは異なります。

 

文明開化と富国強兵殖産興業策から、人材育成の国家的任務を帯びた教育機関では、スポーツの持つ遊ぶ要素よりも、戦うための身体鍛錬、精神修養として利用されていきました。

 

こうして欧米からもたらされた様々な競技は、スポーツとして普及するのではなく「体育」として発達することになるのです。

 

スポーツと体育は、実は大きな違いがあります。

 

それは、スポーツはプレーヤーが自発的に行う遊びの領域が前提となり、試合自体を楽しみ、特に団体競技では、勝利のために全員がチームに貢献する義務を負います。

これに対して、体育は指導者に教わり、結果としての勝利よりもむしろ過程としての練習を通して得られる、心身の鍛錬と高い精神性など、人間としての成長を重視するものです。

 

 

野球もサッカーも陸上競技も体育の授業で教えられ、さらに学校教育の一環として学校内で「部活動」として奨励されます。

日頃の練習の成果を競技大会で発揮し、それらが高校野球や六大学野球となりました。

 

学校の教育の一環として徳育の要素である長幼の序や礼節が重んじられ、それは「体育会」と呼ばれる指導者や先輩が、時には絶対的ともいえる非常に強い権限や威厳を持つ独特の文化となっていきます。

 

 

 

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学生スポーツの発展

一高で火がついた野球熱は、学校という教育の場を通して全国に広がり、国民的人気競技となります。

 

六大学野球は首都で催される大きなスポーツイベントとなり、その結果を報じる新聞が売れ行きを伸ばすようになります。

 

これに目をつけた朝日新聞は、六大学に対抗するコンテンツとして、高校野球を主催するようになり、さらにはサッカーやバレーボールなど、マスコミ企業による主催大会が、相次いで誕生します。

 

これらの動きが、体育をベースとする学校スポーツの隆盛を築くのです。

 

 

学生スポーツが人気化するにつれて、スポーツによる学生獲得がさかんになっていきます。

優秀な選手の入学で競技会で良い結果が出ると、大きな宣伝になり学校経営にも良い影響を与えます。

 

学校といえども営利団体ですから、売り上げと利益優先です。

スポーツ強豪校はその経営資源として、スポーツチームたる「部活」を奨励していきました。

 

教育としての体育というよりもむしろ、学校経営の側面から勝利が、優先されていたと思えなくもありません。

 

 

 

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学生スポーツの内部にひそむ影

学校経営における広告宣伝活動と重なる学生スポーツは、経営とスポーツの二つの現場でそれぞれどういう立場になるのか。

 

その結果選手はどういう影響を受けるか、という点に今回の日大の問題は影を落としているように見えます。

 

 

教育ビジネス面からは、競技を行う運動部は学校法人の宣伝を担う部署と考えられ、選手はその部署のスタッフです。

スタッフが違法行為をせざるを得ない状況にして、「直接指示はしていない」という言い訳は通用しません。

 

 

全ての関係者が法令を遵守するのは前提で、遵守されてない状況を「意識の乖離」と言い訳するならば、ガバナンスの欠如として経営者が処罰される結果を招きます。

 

 

一方で、スポーツの現場で起こった事件としてはどう捉えるべきでしょうか。

 

スポーツは自発的に行なうものです。

 

日本の学生スポーツで見受けられる、監督・コーチが選手に絶対服従を課すというような関係は極めて特殊です。

選手と監督・コーチは対等であるか、または良き先導者であり、アドバイザー的な役割を果たすことが求められます。

 

選手の能力を伸ばし、勝利に結びつく可能性を高めるために何を行うのか。

 

技術と精神力に対する専門知識と自らの経験をもって、最良の解決策を選手と共に探すのが指導者に求められる能力でしょう。

 

 

 

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まとめ

スポーツは何より選手とファンが、第一に優先されるものと考えます。

 

 

米国の大学ではNCAAという大学横断の組織があり、全米のおよそ半数の大学が加盟しています。

NCAAは各大学の利益とは別に、選手のスポーツ活動が、安全かつ公正に行われるようにつよい権限をもって活動しています。

 

今回のような事件が発生した際には、即座に徹底的な調査が行われ、事の次第によっては強制力のある強い裁定を行います。

 

現在日本版NCAAが、今年度中の設立に向けて準備がすすめられています。

 

 

スポーツはなんのためにあるのか。

学生スポーツがはらむ本来のスポーツとは違う側面に留意しつつ、若い優秀な選手がはつらつと活躍し、その才能を存分に発揮して私たちを魅了してくれるような環境づくりに期待したいと思います。

 

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5-2:思いつき

コメント

  1. 人気ブログランキングのURLをクリックしておきました。

    おもしろい記事ありがとうございます

    拝見しました。

    たまたま、この騒動をニューヨークタイムズ記者が書いていましたね。

    これからも、時々見て参考にしますとカインも言っております。

    おかげで、ポイ探一位を続けておりますカインも思うところあって、

    本格的に活動を始めたようで、私も忙しくなってきました。

    今後とも、よろしく、お願い致します。また、来ます。

    • カインの秘書 様

      なかなか、読んでもらえない弱小ブログですが、このようなお便りをいただき嬉しく思います。

      これからもよろしくお願いいたします。ありがとうございました。