日本刀で女性宮司を殺害させた弟は自殺か?(富岡八幡宮4人殺傷事件)

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富岡八幡宮4人殺傷事件

事件の全容

東京の由緒ある神社の宮司である58歳の女性が、弟に殺害された事件で、さまざまな証言や過去のいきさつから、宮司の職をめぐってトラブルになっていたとみられます。

 

宮司である長子さんが車から降りたところを、茂永容疑者らが襲ったということですが、長子さんは車から降りる際に、茂永容疑者と妻の真里子容疑者が走り寄ってきたことに気づき、一度は車の中に戻ったといいます。

しかし直後に茂永容疑者らが、長子さんを車の中から引きずり出し、日本刀で切り付けたということが分かりました。

また、茂永容疑者らが長子さんと運転手に切りつけたあと、さらに自殺を図るまでの犯行がわずか5分ほどの間に行われた、ということも警視庁の調べで分かりました。

男性は右腕などを切られて重傷だが、命に別状はないということですが、長子さんは後頭部付近や胸などを刺されて死亡しました。

 

その後、茂永容疑者と女は長子さん宅付近に移動し、茂永容疑者は長子さん宅前で女を刺し、その後自殺したとみられます。

 

 

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富岡八幡宮とは

事件のあった富岡八幡宮は、江戸時代初期に建てられ、390年の歴史のある神社で開運、厄除けにご利益のある神社を祭っています。

 

毎年夏には江戸三大祭りの一つとして知られる「深川八幡祭り」が行われています。

これは「水かけ祭り」とも呼ばれ、沿道の観客かが神輿に向かって、清めの水を浴びせる事でも有名です。

また、江戸歓進相撲(かんじんずもう)発祥の地でもあり、今年の6月には横綱・稀勢の里が訪れて、歴代横綱のしこ名が刻まれた石碑に名を刻む刻銘式も執り行われました。

寺社の建築,修繕などの募金を目的とした興行相撲。鎌倉時代末期から室町時代にかけて発生したとされ,江戸時代に入って職業的に基盤ができたが,のち勧進は名目だけになり,都会や繁栄地で盛んに興行されるようになった。やがて元禄時代から勧進相撲は年中行事となった。

 

宮司はどのように決められるのかというと、一般的に地元の名士らが出席する「総代会」の承認を得たうえで、全国の神社を統括する「神社本庁」に申請します。

ここで承認されて初めて宮司と認められるわけです。

 

 

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犯行の原因

捜査関係者によると、茂永容疑者は2001年に宮司を解任され、長子さんは2002年、警視庁に宮司の地位をめぐる親族間のトラブルがあると相談していたらしいそうです。

 

また、茂永容疑者は06年1月にも、長子さんを脅すような内容のはがきを、2枚送りつけたとして、脅迫容疑で逮捕、起訴されている。

そのはがきの内容は「必ず今年中に決着をつけてやる 覚悟しておけ」それから「積年のうらみ 地獄へ送る 覚悟しろ」と書かれていたらしい。

 

こうしたかなり強い言葉の内容でしたから、長子さんは警察に連絡したのも分かります。

 

茂永容疑者は1995年から2001年に宮司を務めたが、金銭トラブルや女性問題で解任されていました。

 

知人らによると、最近も長子さんが宮司でいることに不満を持っていたと言います。

 

 

警視庁は、茂永容疑者が一方的に長子さんへの恨みを募らせていた疑いがあるとみています。

富岡八幡宮の内情を知る専門家によると、「容疑者は宮司の職に未練があり、返り咲きを周囲に相談していました。

しかし長子さんが正式に宮司になり、復帰のめどが立たなくなったため絶望したのではないか」と話しています。

 

茂永容疑者は大学でも神道を専攻していたし、小さいころから後継者として育てられたわけで、宮司という職に強い執着があったとも考えられます。

 

今回の凶器が日本刀だったことからも、容疑者の強い殺意が感じられる事件です。

 

 

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茂永容疑者とはどんな人物か

氏子50代の男性からの証言では今年の7月頃、富岡茂永容疑者(56)から突然電話をうけて40分ほど話をしたと言います。

内容は、姉の長子さん(58)や八幡宮を一方的に中傷するような、内容をまくしたてたといいます。

 

時折泣き出したり、怒鳴ったりで情緒不安定な様子で、宮司に戻りたかったようだということです。

また茂永容疑者は、複数の氏子にも同様の電話をかけていたようです。

 

共犯者の女は茂永容疑者の妻である真里子容疑者と特定していますが、2人は茂永容疑者が宮司を務めていたころに結婚し、当時は境内の社屋に住んでいましたが、その後、東京・上野や福岡県などを転々とし、2人はなぜか離婚と結婚を繰り返し、7年前に3度目の結婚をしたという情報もあるようです。

 

茂永容疑者と地元の小学校、中学校の同窓生である50代の男性の話では、「事件の速報を聞いたとき、過去にもきょうだいの諍いがあったから、茂永の犯行ではないかと思った。

凶器に日本刀を使ったと聞いて、そんな根性のあるやつではないとも思った」ということです。

「学生時代のあだ名は「ぼんちゃん」でボンボンのぼんだという。

勉強もスポーツもできるほうではないが、お金はもっているからイジメの対象になっていたと言います。

 

大学進学後は「お金で釣った悪友をボディーガードみたいにつけるようになり、移動はいつも車で18歳の時には外車のリンカーンを乗り回していたそうです。

 

 

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そんな過去を知っている人達にとっては、茂永容疑者が父親の後を継ぎ、宮司になったときには「ふざけんな」と陰口をたたく地元の人間も多かったといいます。

 

そうした彼が2001年に宮司を辞めさせられたのですが、その理由を関係者は「神社本庁に収めるお金を使い込んでいることが明らかになり、辞めさせるというよりは追放したということらしい。

 

宮司になってからは毎晩銀座で飲み歩き、月に100万、200万と使い込んでいた。女性にだらしなく、複数回離婚している。神社からは退職金というか手切れ金として結構な額を渡している」ということです。

 

 

そのお金も尽きたのでしょうか、過去に散々嫌がらせを受けたにもかかわらず、姉は弟に送金して助けていたといいます。

 

 

 

関係者の証言が本当なら、茂永容疑者から姉の長子さんに宮司の座を与えたのは、むしろ当然なような気がします。

 

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