「民進党」を離党し「立憲民主党」に入党する国会議員
昨年、12月21日には、民進党に離党届を出した風間直樹、有田芳生両参院議員が、同26日には、蓮舫参議院議員が立憲民主党の枝野幸男代表に入党届を提出しました。
3つの政党に袂を分かった民進党
昨年の9月28日、「希望の党」に合流するという「前原誠司」代表の案が党常任幹事会で承認され、両院議員総会においても全会一致で採択されました。
この時に、保守主義を掲げる「希望の党」より合流を拒否されたリベラル系の議員は、10月3日に「枝野幸男」氏が結成した「立憲民主党」へ入党したり、無所属になり総選挙を戦いました。
民進党は事実上の「解党」となったとも報じられましたが、離党せずに残っている大半の参議院議員や地方議員は今もなお在籍しており、都道府県連合会などの地方組織が活動しているので国政政党とし「民進党」は現在も存続しています。
旧「民進党」の勢力は、「大塚耕平」代表の「民進党」、「枝野幸男」代表の「立憲民主党」、「玉木雄一郎」代表の「希望の党」の3つの政党に袂を分かったのです。
何故、「民進党」は3つに袂を分かったのか?
昨年の9月1日に行われた「民進党」代表選挙で「枝野幸男」氏を破り、代表に「前原誠司」氏が「民進党」の代表に就任しました。
しかし、幹事長に抜擢を予定していた「山尾志桜里」氏のスキャンダル報道あり幹事長人事が白紙になり、「前原誠司」氏の執行部は大きな打撃を受けました。
この大きなダメージが冷めやらない、9月25日に「小池百合子東京都知事」の都民ファーストの国政進出を警戒していた「安倍晋三」内閣総理大臣が衆議院の解散の表明をしました。
この解散声明に呼応するように「小池百合子東京都知事」を代表とする国政政党「希望の党」の結党を発表となりました。
この日、「前原誠司」代表は、「希望の党」への合流という大胆な決断したのです。
9月28日に行われた常任理事会と両院議員総会で、党として比例代表を含め公認候補を擁立せず、希望の党に公認申請を依頼し、事実上「希望の党」と合流することを提案し、承認されたのです。
しかし、「前原誠司」代表の大胆な決断は報われませんでした。
「小池百合子東京都知事」の「安保、改憲を考慮して一致しない人は公認しない」という「排除」宣言が、多くのリベラル派議員に離党を決断させたのです。
そして、枝野幸男を代表とする「立憲民主党」を結党という結果とならざるを得ませんでした。
「立憲民主党」は、総選挙の直前の10月3日に結党されたにもかかわらず、「小池百合子東京都知事」の「排除」宣言が、有権者の「判官贔屓」の感情に火を付けました。
10月22日の開票の結果、「希望の党」を上回る議席を獲得し、野党第1党に躍進したのです。
この「民進党」の分裂は、自民党が漁夫の利を与えることとなった訳です。
絶対安定多数を単独で上回る284議席、自民党と公明党の与党全体では、定数の3分の2を上回る313議席をもたらす結果となったのです。
敗北の責任を取り「前原誠司」代表は辞任し、「民進党」を離党し「希望の党」に入党するという不本意なこととなったことは衆知のことです。
元の鞘に収まらず!!
12月26日に、「民進党」は「立憲民主党」と「希望の党」に統一会派を求める決議を両院議員総会で発表したが、一部参院議員から異論が出ました。
一部参院議員の反発は、離党ドミノに発展し、5名参議院議員が離党し「立憲民主党」に入党する結果になりました。
「立憲民主党」の幹部は、「民進党のゴタゴタに巻き込まれたくない」「政策が違う希望の党は一緒にやれない」という本音があるようです。
政権交代を果たした「民主党」が政策の違う人間の寄せ集めで自爆したトラウマも「立憲民主党」にあるようです。
また、選挙結果を受けて、「安倍晋三」首相が憲法改正のスピードを上げたことは、「立憲民主党」が「希望の党」との協調路線をとる可能性を低くしています。
「民進党」という元の鞘に収まることはまずないようです。
離党者の受け入れ
何故「立憲民主党」は「民進党」からの離党者を受け入れるのでしょうか?
政党公付金を支給する基準日は法律上では1月1日と規定されています。
平成29年内に国会議員の入党者があれば、政党公付金は入党した国会議員の分だけ増えるのです。
政策の一致が入党の判断材料であることは間違いがありませんが、「立憲民主党」は10月3
日に出来たばかりの政党で、政党交付金を一度も受給したことのない貧乏所帯です。
「貧すれば鈍する。」という格言があります。
動きの鈍い政党では、有権者の支持は得られません。
一人でも1月1日までに国会議員を増やし、少しでも多くの政党交付金の給付を受けたいのです。
10月22日の「総選挙の投開票日」と1月1日の「政党公付金を支給する基準日」の間が短期間であったことは、「民進党」を離党し「立憲民主党」に入党する国会議員の動きを加速させた大きな要因ではないでしょうか。
党勢を拡大の時機到来と考え、積極的に「立憲民主党」が「民進党」の国会議員にアプローチをしたと推測できます。
まとめ
イギリス、アメリカのような二大政党を目指し、「民主党」は、荒削りな政党の合従連衡を繰り返し党勢を拡大しました。
一度は、政権をとりましたが、自爆とも言える、失政を繰り返し、僅か3年3ヶ月では政権の座を奪われました。
政権を失ってからも、荒削りな政党の合従連衡が祟り、求心力を失いました。
離党する国会議員が相次ぎ、選挙でも自民党に大きく水を空けられ、党勢は著しく衰退したのです。
党名を「民進党」に改めても、昨年の総選挙のようなゴタゴタを起こし、まさしく死に体となったのです。
「政治とは妥協の産物であり、可能性の芸術である」という言葉を、ドイツの「鉄血宰相」と呼ばれた政治家の「オットー・フォン・ビスマルク」は残しています。
しかし、真剣に議論をしないで簡単に妥協をすると、「民主党」のような結果になるのです。
真剣に議論することは、民主主義の基本中の基本です。
与野党を問わず、先入観を持たずに真剣な議論をすることは、国家として誤った道を進まないたったひとつの方法です。
国家議員たる者、魅力と中身のある議論を国会の場で繰り広げ、国民の眼を政治に注目させる意気込みで日々研鑽して頂きたいものです。
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