今更ながら、本を読むことで得られるものについて考える(後編)

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本を読むことで得られるもの

前回、現代における『本』の立ち位置と、その『本』のうち『小説』を読むことで得られるものについて記事を書きました。

 

今更ながら、本を読むことで得られるものについて考える(前編)
本を読むことで得られるもの いまさらながら、本は好きですか。 あなたは、『本を読め、本を読め』と妄信的なまでに、本を読むことを進めてくる先生や大人を、子どもの頃に一度は見たことがあるのではないでしょうか。 少なくなくとも、一度くらいはそう言われたことがあるかと思います。 多くの人がそうだったことでしょう。 現代は本の売...

 

 

今回は、前回途中だった『小説を読むことで得られるもの』の続きについて記事を書いていこうと思います。

 

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小説は誰かの人生の追体験

『小説は誰かの人生の追体験』、そんな言葉を聞いたことはないでしょうか。

小説とは架空の誰かの物語です。

 

その『架空の誰か』の人生を、小説を読むことで追体験できるというのが、この言葉の趣旨でしょう。

人の人生を追体験することは、厳密には人の身である以上不可能です。

 

わたしはわたしでしかありませんし、あなたの頭の中をまるまるそのまま、わたしの頭に移植することは出来ません。

仮に身体を移植出来ても、あなたが今なにを考え、思い、どんな気持ちで夜を迎えて、どんな夢を見たのかについては、あなたに直接聞いたとしても、それはまだ『あなたの人生を追体験した』とは言えないはずです。

 

もし言えるとしたら、それは『体験』ではなく『想像』です。

誰かの言葉から誰かの頭の中にそのときあったものを想像して、それに想いを馳せることだけが、あなたに出来る唯一のことなのです。

 

 

では、この『小説は誰かの人生の追体験』という言葉は嘘なのでしょうか。

 

これをどう見るかは、あなたの言葉への解釈次第でしょう。

言葉へのこだわりの強さ、解釈の方向は人様々です。

それを侵害することは、誰にも出来ません。

 

ちょうど、「あなたの頭の中をわたしが知ることが出来ないのと同じように」です。

 

 

さて、これが嘘であるか本当であるかはさておき、実際のところ小説を読むことは、人への知識や理解についてのちょっとした補強になります。

小説はあくまでも『架空の物語』であり、その中に出てくる登場人物もまた『架空の人物』ですが、それらの物語・人物は『現実に存在する人間の想像した』物語であり人物であります。

 

どこかの誰かが何百時間、何千時間とかけて考え出してきた、『人への考察』を形にしたのが、それら『架空の物語』『架空の人物』と言えるでしょう。

 

その物語と人物は確かに『架空のもの』ではありますが、その一方で『真実にせまるほど考え抜かれた』限りなく真実に近い架空とも読むことも出来るはずです。

少なくとも、ただ日常の中のふとしたときに頭の中で考察しては、すぐに抜け落ちていく、わたしやあなた、つまり『小説を書くこと』を仕事にしていないわたしたち一般人の認知より、それについて人生をかけて考え抜く小説家の抱く『人への認知』の方がより洗練されていることでしょう。

 

かといって『小説の物語・人物』を、まるまるあなたの身の回りにいる友人や恋人も同じなのだと適用するのは、あまり勧められたことではありません。

 

あなたが読んだ小説の登場人物は、『それを書いた人間にとっての、人の真実』です。

あなたの友達が、わたしの友達と同じではないのと同様に、あなたが読んだ小説の登場人物はあなたの友達とは別人です。

 

あなたが触れたのは、どこかの誰かにとっての『人の真理』であり、あなたにとってのあなたが見つけるべき『人の真理』とは、大いに食い違うのが当然なのです。

 

 

ただし、あなたの読んだ小説の登場人物とあなたの友達は違いますが、わたしたち人間には『参考にする』という素晴らしい知識と認知の発展方法があります。

小説は、あなたにとっての真実を教えてくれるものではありませんが、あなたが人生において『人の真実』を見つける、その手伝いをしてくれることは間違いないでしょう。

 

 

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小説の優位性

さて、長々と漠然とした話を語らせていただきましたが、ここで少々現実的な話に戻します。

 

『小説は誰かの人生の追体験』的なことを出来るとして、それは『小説』に限らず漫画やドラマ、映画などと何が違うのでしょうか。

 

あえて言えばそういった『創作物』に限らず例えば友人の体験談など、日常的に体験する『人の話を聞いて想像する』という行為となにが違うのでしょう。

 

 

ひとつ、明確な解を提示するとすれば、それは『小説はゆっくり追体験できる』ということでしょう。

 

それは『絶対に代替不可能』なものではありません。

漫画をとんでもなくゆっくり読む方もいるでしょう、同じ映画を10回観に行く方もいるでしょう、友人から聞いた話を何度も想像して夢に見る方すらいるでしょう。

そういったものたちと比べてもなお、小説にしかないなにか特別なものがあるのかと言われれば、恐らく存在しないことでしょう。

 

しかし、そういった力の入った鑑賞方法は中々に労力のかかるものです。

一方で小説は『読むのに時間がかかる』媒体です。

 

それは、文字だけで世界を構築し、それを読み解くという制限がかかっているからです。

 

制限がある以上、書き手は詳細に物事を書きますし、読み手は時間をかけて詳細に頭の中で世界を再構築します。

その詳細さが、他の媒体と比べたときの小説の優位性と言えるのではないでしょうか。

 

 

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まとめ

小説には、『誰かの人生の追体験』と呼べるかもしれない何かを体験できる仕組みが備わっています。

 

 

文字だけで構築された世界と、それを読み解くに当たって読み手が文字から世界を再構築するという詳細な情報のやりとりが、他の媒体に負けない『小説の優位性』と言えるかもしれません。

 

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5-2:思いつき

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